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【川口いじめ】学校側はいじめから守れないなら、守れないと言うべきだ

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<川口いじめ>信じて再び登校したのに...不登校生徒に示した「今後の支援」共有されず 母が抗議、教頭反論 - ニュースパス

 
通勤の電車の中、ショッキングなニュースがスマホに通知されました。
 
女性専用車両の中、少しでも座れるポジションに立とうと鞄を盾ににじり寄ってくる隣の女性への苛立ちが、この短い記事を読んだだけで怒りを覚えるほどのものではなかったと冷静になりました。
 

いじめゼロは不可能だ

悲しいけれど、いじめが無くなることはないと筆者は考えています。
法や教育の現場でどれだけ対策や罰を用意しても、自身が痛いめを見たことのない人間は永遠に事の重大さを理解することがないからです。
こと、他人を傷付けることの非道さを理解していない未成年者の責任など、親が肩代わりしてしまうのだから果たされないも同然。
 
こういう痛ましい記事を読んでも「酷い」とか「やっぱりいじめは最低だ」と認識できるのは"もともといじめに関与するはずもない良識のある子供たち"であって、加害者や加害者予備軍たちに事の重みが響くことはありません。
 

大人で判断力のある教員の方が、いじめ当事者の生徒よりも被害者を追い詰めている

さらに筆者が顔をしかめたのは、この記事でクローズアップされているのは子供によるいじめの凄惨さではなく、教師が子供の信頼を踏みにじったことにあります。
 
いじめに耐えきれず長期的な不登校になってしまった被害生徒に対し、教頭は「学年中の先生でいじめから守る」と約束します。
保護者を説得するためか、具体的に教員たちが"どんなこと"をしていじめ対策をとるのか書面にまで起こしています。
しかし、実際には教頭が独断で作ったたった1枚のA4用紙に記された内容は、一切他の教員の耳に入っていなかった。
 
「先生を信じる」と勇気を出して登校した被害生徒は、無くならないいじめに苦しみ続けたそうです。
結局ボロボロに傷付ききった子供のために、母が教員たちに見せた教頭作成の文書に教員たちは「見たことがない」と驚愕したと言います。これが発覚するまでに、1年。本当に、ふざけている。
 
まずいじめを繰り返す子供たちは論外でしょう。
ろくな大人になりません。せいぜい苦労してほしいと思いますが…。
 
教員たちも、子供の命を軽んじているとしか思えません。
教頭の文書に見覚えがないという点は同情の余地がわずかにありますが、そもそもいじめを無くそうと各々が尽力していたなら、生徒の母にその文書を見せられても弁明できることはあったはず。
 
いじめに対して効果的な対応ができていなかった、或いはしていなかったから問題がここまで大きくなっているはずです。
仮に教員たちが被害生徒をいじめから守ろうとしていたとしても、はっきり言わせてもらえば「した」と「できた」は違います。
こんなこと、社会に出ている人間ならわかりきっているはずです。
冷たいようかもしれませんが、結果が出ていないなら認めてはいけないこともあります。それこそ、今回のように子供のために命がかかっているのなら。(被害生徒は自傷行為を繰り返していると記事本文にあり)
 
そして問題の教頭。
その場しのぎで自分にだけ都合のいい言葉を並べ、その後はいい加減な対応…。被害生徒が卒業となる3月までのらりくらりと待っていたとしか思えません。
これは筆者の憶測ですが、不登校の学生と対話して登校を再開させた教諭として、そのときは校内で一目置かれたかもしれません。
きっと被害生徒と母親には教頭は頼もしく、いじめの温床となった学校の中で信用できる数少ない人物だったはずです。
取るべき行動をとらずして子供の気持ちを踏みにじったとしか思えません。
 

守れないなら、守れないと言え

小学生でもインターネットを使いこなし、誰もが複数のSNSを楽しんでいる現代ではいじめはより陰湿になったと感じます。
いじめるためのツールは増え、身を守る手段が増えたかと言うと、そうでもないというのが現実でしょう。いじめを完全に撲滅することは不可能です。
 
いじめられる側にも原因があるという考え方にはほんの一部理解はしめしますが、いじめという他人を肉体的・精神的に攻撃する行為そのものは100%の悪だと考えます。
特に学校という空間で起こるそれは絶対に見過ごしてはいけないし、放っておいてはいけません。
 
ただし、学校側・保護者でできることが限られているのも事実です。
なにも大人にスーパーマンになれだなんて、誰が言えるでしょうか。先ほど「した」と「できた」は違うと書きましたが、「やってできなかった」のなら、「できなかった」「力不足だ」と声を上げるべきなのです。
 
もちろんそれは無責任だと責められることかも知れないけれど、中途半端に取り繕って学校側の体裁のために加害者のいる学校に登校を促されるよりきっといいと思います。
「行動を起こしているが、完全にいじめを取り除くには相当時間がかかると思う。本当に申し訳ない」と一言リアルな説明が学校側からあったなら、転校や引っ越し、学校外での活動の場所にもっと早く目を向けられるかもしれません。
 
わたしが親になって子供がいじめられたなら、守るために闘って、それでも受ける傷の方が深いのならば子供を連れて逃げます。
「大丈夫だから」「もう少し頑張ろう」なんて、傷だらけの子供に言えるはずかない。
 
「守る」意志は必要だし、被害者のために伝えてほしいけれど、「守れそうにない」ならそれも伝えなければいけない。
そして今回の川口市のいじめのように、「守る」覚悟もないのに守ると言って、生徒をいじめの渦中に投げ出す大人はどれだけ罪深いでしょうか。
自傷行為に走るほどに傷付く危うい子供を、覚悟のない「守る」の一言で命にすら危険が及ぶような場所に引きずり出したこの教頭のような教師を、絶対に許してはいけません。
 

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